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私はアラフォー、バツ2のシングルマザーです。
現在会社員、リモートワークで営業職をしています。
10歳の息子、7歳の娘と暮らしています。
わくわくする業界に転職して収入UPしたい。
子供たちに好きなことをやらせてあげたい。
親孝行したい。
自己投資したい。
アラフォーでも、今よりもっと輝くことを目指したい!!
そんな思いを叶えるため、2023年5月に、
「WEBマーケティングを勉強し、
2年後には年収1,000万円を稼ぐ!!」
という具体的な目標を掲げました。
WEBマーケティング初心者のアラフォーママが、目標を達成するまでのリアルな道のりと、詳しいノウハウを発信していきます。
ここでは、私がWEBマーケターを目指すことになったきっかけや、山あり谷ありの生い立ちを、お話します。
サイトのコンセプトは、コチラです↓↓
https://kirarinmama.com/2023/05/16/concept/
基本情報
名前:asuka
性別:女性
居住:長野県出身→大学時代:埼玉県
→兵庫県(今)
家族:小学生の息子と娘と同居、大学生の娘は別居
職業:会社員で営業職
性格:直感的に行動するため、決断は早い。刺激や変化を求める傾向。
趣味:息子のサッカー観戦と写真撮影、部屋の模様替えと断捨離
幼少期〜中学生時代
ストレスを乗り越えキラキラになった母に刺激をもらう
私は、長野県の小さな村で生まれました。3歳下の弟と、12歳下の弟がいます。
父は会社員で仕事熱心。母は東京出身で、結婚を機にその小さな村にやってきました。
山々に囲まれた大自然の中で暮らし、春は山菜採り、夏は川遊び、秋は稲刈りのお手伝い、冬はそり遊び。今思うとすごく贅沢な環境で、素敵な幼少期の思い出がたくさんあります。
小学校では成績もそこそこ良く、友達にも恵まれます。承認欲求強めで、褒められたい、目立ちたい。そのために積極的に手を挙げて発言したり、何かと立候補するような子でした。
小2からはバスケットボールを始めて高校まで続けます。体育会系の縦社会に揉まれ、身体も心も鍛え上げられていきます。笑
はたから見たら幸せな家庭に見えたかと思いますが、私が小学校低学年のころ、家の中では母のストレスがたびたび大爆発するという問題が起こっていました。
毎日のように勃発する夫婦喧嘩での言い合い。私と弟を怒る時にも、母はヒステリックに大声で怒鳴り散らすんです。
そしてあるときから、母の機嫌を損ねると痛い痛いお仕置きをされるように。誰も母のことを止められず、お仕置きをするからと呼び出される日々。
当時の私は、母のことを理解することができませんでした。辛い時期でしたが、ただただ家族が崩壊しないようにと願うしかありませんでした。
母がそんな風になった理由を知ったのは、私が大人になってからでした。母はたくさんのストレスをかかえており、宗教にもすがるほどだったことがわかりました。
▼父は長男、私の実家はいわゆる本家
→「本家の嫁」という見られ方をするストレス
▼父方の祖父と、祖父の弟と同居
→23歳で同居の状況を考えると、相当ストレスだったと思う
▼地区行事や会合、その役員の仕事がたくさんある
→代々その地域の慣習に従ってきた人の中でのストレス
▼父の仕事は年々忙しくなり、たびたび中国に出張で不在がちに
→ 3歳下の弟が生まれてからはほぼワンオペ育児
▼そんな時、家に訪問してくる宗教団体の親子と勉強を開始
→ムチ打ってしつけることが愛、と教えられ、お仕置きが始まる
そういったストレスを少しずつ乗り越えていった母。私が小学校高学年に差し掛かったころ、積極的に外向きの活動をするようになります。
- 地域のコーラス部に参加して得意のピアノ伴奏を弾いたり
- おしゃれをしてママ友と交流したり
- 食や環境の勉強をしてそれに関わる活動や情報発信をしたり
- 家庭菜園を勉強して野菜を作ってみたり
- キャンプ用品を収集して家族でキャンプに出かける計画をしたり
- 軽井沢まで出掛けて、好きな洋服屋さん、雑貨屋さん巡りをしたり、、、
東京出身、身長170cmほどある母は、都会的なおしゃれ感覚もありセンスも抜群。見た目でもひときわ目立っていたのを覚えています。
父の収入は上がり続け、子育ても落ち着き、お金にも時間にも余裕ができた。そのため以前よりも好きなことができるようになり、心にも余裕ができたのだと思います。
そして私が6年生の修学旅行中、12歳離れた弟が生まれました。家族みんな、小さくてかわいい弟にメロメロ!!たくさん可愛がり、お世話のお手伝いをしました。
父は単身赴任に切り替わっていて、ほぼ不在状態。そのためワンオペ育児が続いていたのですが、母の子育ての仕方や考え方は以前と全く変わっており、感情的に激しく怒ることもなくなっていました。
やりたいことをやってキラキラしている母は、格好良いな。
こんなお母さんになりたいな。
そんなへの憧れのお母さん像を抱いた幼少期でした。
公立の中学校に上がった私は、俗に言う中学デビューを果たします。笑
バスケ部に入部し、クラスでも学年でも目立っていた陽キャ友達に囲まれて過ごしました。
スクールカーストでいうところの1軍という立ち位置で、なぜかモテ期も到来!かなり調子に乗っていたと思われ、先輩に目をつけられることも経験いたしました。
中学時代に一番夢中になれたのは成績学年順位のトップ争いで、とにかく勝つことにこだわっていました。トップを取った時の達成感がとにかく気持ちよく、周りに褒めてもらえることがとても嬉しかったのです。
そのための勉強はとても楽しく、全く苦ではなかったです。結果、何度も学年1位を獲得しました。
夢中になれるものがあれば、私も1番になれる!
と、自信を持つことができた中学生時代でした。
高校生時代
落ちこぼれていく反抗期の私。その転機は、、、
地域で1番の進学校に入学した私は、引き続きバスケ部に入部します。
体験入部をしたときにとても興奮して、入部を即決しました。同い年の強豪校選手が体験に来ていたり、バスケ部界隈で有名な先輩がプレーしているのを見て、この人たちと同じチームで一緒にバスケができるなんて!!と、高揚感が湧き上がりました。
朝6:30に家を出て朝練、放課後練習を終えて帰宅、土日もバスケの練習や試合、という部活三昧の毎日。青春そのもの、という高校生活の始まりでした。
と同時に、激しい反抗期も始まります。母に何か言われることがとにかく嫌で嫌で、私は口答えや挙げ足取りばかり。結果口論になり、家に帰ると母と言い合いをする日々でした。
勉強も頑張ろうと気合い十分!だったのですが、2年生になってから急に難しくなった理数系の授業についていけなくなり、挫折を味わいます。
ついには苦手な授業をサボって、友達と過ごすように。私服登校だったこともあり、近隣のカフェや公園などで友達と時間を潰すことが増えていきました。
週1回、2回、、、と少しずつ部活もサボるようになり、ずるずると落ちこぼれていきました。
あるとき母と喧嘩中、こんな風に言われます。
成績も下がって、部活もサボってるよね。進学校に入ったのに行きたい大学も目指すものもなくて、どれも中途半端じゃん。
全くその言葉通りでした。が、反抗期真っ只中の私は素直に言葉を受け取って反省することができませんでした。
「中途半端とか言われるなら部活はもう辞めてくる!」
私は感情的な勢いにまかせてバスケ部を辞めました。バスケ部の仲間に、考え直すようにと泣きながら言われましたが、私は意地を張って聞き入れませんでした。
心にぽっかり穴があくってこういうことか。
バスケ部を辞めてから、夢中になっていたものを手放してしまった喪失感、虚しさみたいなものをすごく感じました。結局私は何がしたいんだろうと、自分がわからなくなり、どん底に落ちたような感覚でした。
自暴自棄になり、夜な夜な友達と遊び歩き、嘘の用事を作って家に帰らないことも。家出を試みたことも、何回かありました。
そんなどん底期にも、転機が訪れます。
遊ぶためのお小遣いがほしかったので、レストランのホールスタッフのバイトを始めるのですが、とても夢中になれたんです!
- 頑張ったら褒められ、評価される
- お客様とのコミュニケーションが楽しい
- 後輩のバイトに仕事を教えることが楽しい
- 自分のやれる仕事を探してこなすことが楽しい
- たくさんの人から「ありがとう」という言葉をいただける
- 働けば働くほどお給料(時給)がもらえる
- 自分で稼いだお金なので、自分の好きなように使える
なんてやりがいがあって楽しいんだろう!と、私はモチベーションフルマックス状態に。
重い食器をトレーに積み重ね、運びながら動き回る仕事。意外と体力がいるのですが、バスケ部で培った体力がここで役に立ちました!笑。
いらっしゃいませー!と元気よく笑顔で言うことも、先輩や社員さんに礼儀正しく接することも、部活で学んだコミュニケーション術を活かせているのでは!
部活を辞めたことを正当化していたのかもしれませんが、そうやってポジティブ思考になれたことでさらに頑張ることができました。
楽しく、夢中になれるものがあれば、やっぱり私は頑張れるんだ!
過去の経験が、こうやって仕事に役にたつこともあるんだ!
自信とモチベーションを取り戻した私ですが、進路については何を目指したらいいのか、自分のやりたいことがはっきりと見えていませんでした。
大卒のほうが将来少しは就職に有利だろう。それに、楽しくキラキラした大学生生活を送ってみたい!
そんな理由で進学することに。得意な文系科目のみで受けられる大学、かつ埼玉にある母方の祖父母の家から通える私立大学をいくつか受け、第一志望校に無事合格します。
大学生時代〜25歳
楽しいが一番!の大学生活。たくさんの出会い。そしてデキ婚→離婚
実家を離れて、関東で大学生活を送ることになった私。親元を離れたことでテンションはMAX。学生生活をとことん楽しむぞ!と意気込んでいました。
周りに置いていかれないようにと、新歓コンパなどの人が集まるイベントには誘われるがままに参加。一気に友達がたくさんできて、それだけで世界が広がったような感覚に。
たくさんの人と出会うことも勉強のうち!
と、遊ぶことも正当化しつつ、好き勝手なことをした4年間でした。
専攻クラスが一緒だった女子6人組は特に気が合い、休みの都合が合えば女子会や旅行や家飲み。学生生活最後にはタイへの卒業旅行。楽しいことばかり計画して思い出をたくさん作りました。
長期休みには、運転免許証を取得したり、カナダへ短期留学に行ってみたり、デザイン系のPCスクールに通ってみたり。夏休みには毎年友達が所有する軽井沢の別荘に遊びに行き、冬休みには毎年泊まりがけでスノーボードに行き、、。
4年生の夏休みには、当時遠距離で付き合っていた彼氏と同棲をしてみたくて、マンスリーマンションを2ヶ月借りて関西で過ごしました。
貯金もせずにたくさんのお金を使い、後先あまり考えず、その時にやってみたいと思ったことをする。そんな生活でした。
楽しむためには、とにかく自由に使えるお金が必要!!
と身に染みて実感し、空いた時間はバイトに費やします。
祖父母の家の近くにあった、カジュアルフレンチレストラン。そこでのバイトは、お店が潰れるまでの3年間続けました。思えば大学時代に真面目に続けられたのはバイトだけかもしれません。
落ち着いた雰囲気の少し単価が高めのレストランで、ワインとコース料理を楽しむようなお客様への接客。バイトよりも社員さんが多い環境で、学びや出会いがたくさんありました。
残念ながら学校で勉強すること自体にはあまり夢中になれず、留年せずに卒業に必要な単位がとれればいい!という考えでした。
そして就職も決まらないまま4年生の冬になったころ、突然体の異変を感じます。
妊娠でした。
病院のモニターで初めて自分のお腹の中を見たとき、自分の中にもう一つの命があることがすごく尊くて、私は赤ちゃんを産む以外の選択肢は考えられませんでした。当時の彼と結婚することを選びました。
お腹の赤ちゃんと一緒に無事に大学を卒業し、彼のいる関西に引越します。
結婚し娘を出産をした私は、自分が妻になりお母さんになれたことにとても幸せを感じていました。初めての育児も、とても楽しいものでした。
懸念点だったのが、当時の夫の収入でした。
友人の自営業を手伝い一緒に経営していて、そこそこ収入があると聞いていたのですが、仕事量も不安定で、年収も平均以下だったことが結婚してからわかったのです。
結婚したばかりなのに、夫への気持ちや信頼感は早くも下り坂になってしまいました。
それからいろいろなことがありましたが、お互いにストレスを抱え、夫婦の溝は広がり、結果的に3年目で離婚することになります。
そして話し合いの上、娘の親権は夫が持つことになります。娘に苦しい思いをさせてしまったことが辛すぎて、1ヶ月ほどなにも食べられないような状況に陥りました。
今まで生きてきて、間違いなく一番辛い経験でした。
26歳〜28歳
夢中で働きトップセールスになる一方、ダメ男に騙され借金まみれに。
大学を卒業してすぐに専業主婦になった私は、働きたい、社会に出て誰かの役に立ちたい、という思いを持ち続けていました。
離婚を機にすぐに収入が必要だったため、とにかく時給の高い仕事をすぐに始めよう、と求人雑誌を手に取ります。目に止まったのは、当時時給がとても高かった、携帯電話販売のお仕事でした。すぐに連絡をし、働くことが決まります。
研修が終わると、大阪のど真ん中にある家電量販店に配置されることが決まりました。やっと働ける!とやる気に満ちていました。
一緒に働く仲間は10人ほどいました。一人一人の月毎の新規契約台数がバックヤードに掲示されていて、中でも契約数が多いスタッフは2人ほどしかいませんでした。
単純ですが、それを見て闘争心を掻き立てられました。笑
絶対この中で1番になる!
そう決めた私は、売れているスタッフのいい部分を真似して工夫し、1ヶ月もしたらコツを掴むことができました。
まず心がけたことは、他の誰よりも先にお客様に話しかけることでした。笑顔で、一言だけ声をかけておく。それだけで、逆にお客様から話しかけたい時に、私に話をしてくれるようになりました。
ちょうどガラケーからスマホに切り替わる時期だったので、ささいな質問にもわかりやすく答えられるように、スマホについて誰よりも知識をつけました。店側が売りたい機種を売るにはどうしたらいいか、複数契約をとるにはどうしたらいいか、たくさん考えました。
考え、実行して検証することで、数字が目に見えて上がることが楽しくて、すぐにトップを取ることができ、記録も塗り替えていきました。
トップになったことはもちろん嬉しかったのですが、忙しいのにありがとう!また次もお姉さんのところで買うわ〜と言ってもらえることが何より嬉しくて、原動力となりました。
初めてiPhoneが発売された時にも販売に携わることができ、とても貴重なタイミングで携帯販売に関わることができました。
一方で、プライベートはうまいこといかず、、。この仕事も3年目に入ったころ、3つ下の彼氏ができたのですが、後々ダメ男だったことに気づきます。
ある時、彼から一緒に住もうと提案がありました。職場近くに住んで、家賃は半分ずつ払おう、と。車も欲しいけど職業柄ローンが組めないからと言われ、私名義で車のローンを組みました。彼の職業は警察官だったので、言われるがまま信じていました。
今となれば笑い話なのですが、2人で住もうと借りた家に引っ越した後、だんだんと本性を表すようになった彼。浮気性、DV体質、ギャンブル好き、、。数ヶ月後には、家賃も車のローンも生活費も、お金を全く払ってくれなくなりました。
怒らせると怖いしめんどくさいから、お金は私がなんとかしよう。
喧嘩して背負い投げをされたことも何回かありましたが笑、楽しいこともたくさんあったので、すぐには別れず3年は付き合いました。
ただ、なんとかなるだろうと思っていた月々の支払いは、私のお給料だけではきつすぎました。最終的に250万円ほどの借金が残りました。
29歳〜40歳
正社員&営業デビュー!人生2回目の結婚→離婚
ちょうどダメ男と付き合いはじめたころと同時期、ベンチャー企業で働いていた知り合いから、一緒に働かないかと声をかけられます。
内容は代理店営業というお仕事。新しい部署を立ち上げ、携帯電話の代理店開拓を始めるから手伝って欲しい、とのこと。
経験を活かせるものでしたし、立ち上げに関わるというのもワクワクしました。正社員になれることにも魅力を感じ、誘っていただいた会社に就職することを決めました。
(そして後にこの会社が倒産するまで10年ほど働くことになります。)
代理店さんが儲かってもらえるように多方面からサポートをし、売り上げをあげる仕組みを作る仕事は、とてもやりがいのあるものでした。
誰かの役に立てる仕事って、やっぱりモチベがあがる!
それに、敬遠されがちな新規開拓営業も私に取っては楽しく、出張に行きたいがためにアポ取りを頑張る日々でした。
最初は上司の出張同行で、ビジネスマナーからコミュニケーション術、会食の心得などを勉強させてもらいました。
一人で出張に行けるようになると、弾丸一人旅のような感覚で楽しくて楽しくて。遠方の事業者さんであっても、なるべく訪問アポを組んで会いにいくようにしていました。
同じ部署の営業は3人いましたが、明らかに私が一番がむしゃらでした。結果、売り上げも利益も一番に。会社から評価もしていただき、昇給し続けました。
営業3年目にもなると、名刺は何百枚も溜まり、宝物になりました。そしてその名刺の中に、人生2回目の結婚相手がいました。
バツイチになった経緯も、借金がある経緯も、その彼には赤裸々に話しました。1年ほど付き合った後、プロポーズを受けトントン拍子に結婚します。
その後今に至るまで、公私共に大きな変化が続きました。
▼33歳:2回目の結婚、長男出産で育児休暇
▼34歳:大阪から兵庫に引っ越し、時短社員として復帰
サポート寄りの代理店営業として働き、新卒を育てる
▼36歳:長女出産のため、2回目の育児休暇
▼37歳:時短社員として復帰
求人広告の代理店営業と、原稿作成に携わる
▼38歳:2回目の離婚、シングルワーママになる
通信商材の代理店営業に戻り、部署の責任者に
▼39歳:会社が倒産
当時の取引先に転職し、代理店事業部立ち上げに携わる
▼40歳:コロナの流行で、リモートワークが始まる
中でも大きな出来事は2回目の離婚だったのですが、1回目の離婚とは違いすごく前向きなものでした。自分の収入もあり、シングルマザーになることに不安はなく、むしろやる気に満ち溢れていました。
シングルマザーでも子供たちを不安にはさせない!
がっかりさせない!
むしろ今よりもっと、みんなで幸せになる!
現在の私、未来の私
夢中になれるものを探していた私が、WEBマーケティングに出会う
代理店営業という仕事を続け、10年以上同じ業界にいる私。「もっと新しいことにチャレンジしたい、ステップアップしたい」という欲が年々大きくなっていました。
今までのスキルに、プラスアルファの知識があれば、もっと誰かの役に立てるのではないだろうか。
前の会社が突然倒産し、同じ給与で私を受け入れてくれた今の会社にはとても感謝しています。ですが、残念ながらついていきたいと思える人がいません。今の会社まかせでは、自分のこれ以上の成長や将来性も見えていない状況です。
ただ、私は2人の小学生を持つシングルマザー。無理に転職して子供の生活をがらっと変えてしまうようなことは避けたいし、挑戦するにしても慎重になっていました。
そんなとき、何気なく見ていたYoutubeショートで、「うーっす!」と元気に挨拶をする美人社長の動画が流れてきました。素敵なスーツを着こなしキラキラしている彼女が気になり、すぐにチャンネル登録します。
その女性は、オーダースーツブランド「Re:muse」を経営されている、勝友美社長でした。勝社長の想いを知れば知るほど惹かれていき、憧れるようになりました。
私もこんなに強い「想い」を持って仕事をしたい!
勝社長のオンラインサロンが始まると、もちろんすぐに入会。そこではマインド/金融/WEBマーケティングを勉強できるとのことでした。
我らが師匠、青木先生が「WEBマーケティング」を担当。そのコンテンツを聞くと可能性をとても感じ、きちんと習得できたら絶対誰かの役に立てる、という未来が見えてワクワクしました。
なぜ、WEBマーケティングに可能性を感じたかというと、、、
◆身近なブログやSNS運用を覚えられ、副業から始められる
◆未経験から始めて稼いでいるブロガーさんがたくさんいる
◆多くの企業で必要とされている知識であり、ニーズがある
◆マーケターとしての独立も視野に入れられる
◆年収を上げられる可能性が高い
◆会社に依存しない生き方もできる
◆PC一つで、場所を選ばず仕事ができる
◆自分の可能性を広げられる
もっと本気でWEBマーケティングを勉強して身に付けたい!という思いが強くなり、青木先生のスクールにも即入会。
2年後には年収1,000万円稼ぐ!
という目標も掲げ、達成に向けて一歩ずつ前に進んでいます。
子供たちに好きなことをやらせてあげたい。
親孝行したい。
自己投資したい。
アラフォーでも、今よりもっと輝くことを目指したい!
常に何かに夢中になっていたい!
シングルマザーの私でも、年収1,000万円を稼いでもっとキラキラしたい!
WEBマーケの知識ほぼ0、超初心者の私が、実際に目標達成するまでの道のりやノウハウを発信していきます!
私と同じように、40代でも未来にワクワクしたいママのお役に立てればと思っています!
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。